りんご箱
***
「こんなんじゃ、どこの高校にも行けないぞ」
担任の森山(モリヤマ)先生って言う、結構若い先生が、私を厳しい口調で詰った。
「いいか、結原(ユイハラ)。お前が考えてるほど、受験は甘くないんだ」
古本臭い資料室で、毎日のようにされるお説教。
いーかげん、耳ダコだ。
「失礼しましたー」
そう言って資料室を出たとき、夕日は殆ど傾いていた。
…五時半からのアニメ、間に合うかなぁ?
お説教くらった後で、こんなこと考えるの、私くらいかもしれない。
私は結原志乃(ユイハラ シノ)。十五歳。中三。灰色の受験生真っ只中。お説教を毎日されてるくらいの問題児だ。
夕日の差し込む西校舎の三階で、未琴(ミコト)が待ってる。
華矢未琴(カヤ ミコト)。私の中一からの親友で、成績は上の上の上、の優等生。
「あ、志乃。おかえり。どーだった?」
超が付くウェーブロングヘアの美少女・未琴は、私のクラス、3-Cで本を読んでいた。未琴はクラスは違うけど、いつも私のクラスで待っててくれる。
「いつもとおんなじ」
私は素気なく返した。
「それにしても、志乃ってばホント常習だよ。答え分かってるのに、テストの答え書かなかったり…もったいないよ」
確かに未琴の言う通り、もったいないことをしている。
私のテストは、たいてい白紙。分からないからじゃない。ぜーんぶ、分かってる。でも、面倒くさくて、書いてない。そんなことをするもんだから、先生たちは私を変な奴扱いしているのだ。
…こっちの気も知らないで、よく言うよ。全く。
下駄箱まで、私達は無言だった。私が、未琴や先生たちの鈍感さに、ふくれっ面をしていたから、未琴は何も言えずにいたみたい。
階段を下りてって、薄水色のセラミック製の下駄箱が見えてきた私の視界に、男の子が映った。
「あ、朝樹(アサギ)」
私は小さな声で言ったつもりだったけど、人気の無い校舎では、その五、六倍くらい、思いっきり響いた。
朝樹翔(アサギ ショウ)。ジャニーズ系の美男子で、背が高くって、足が長くって、元から茶色い髪がよく似合う、男の子。私がかつて、恋をしていた男だ。
階段の、木で出来た手すりに寄りかかっていた朝樹は、私の声に、顔を上げた。
「よぉ」
「翔君、どうしたの?」
朝樹が片手を上げて挨拶をすると、未琴はそう言って朝樹に駆け寄った。
この二人、実はデキてるのだ。
私も、二人が付き合う以前は、朝樹に本気で恋をしていた。でも、ルックスも、性格も、未琴のほうがぜんぜんお似合いだし、朝樹が未琴のことを好きだったこと、知ってたし。私は、未琴にも、朝樹にも、切ない心を打ち明けなかった。
二人が付き合い始めたと、未琴から聞いたとき、少しショックを覚えつつも、笑いながら、「おめでとう」と言ったのを覚えている。
「委員会じゃ…なかったの?」
「うん。でも、結構早く済んでさ。靴見たら、お前の靴、まだあったから…」
「そ、そっか…」
朝樹と一緒にいるときの未琴はこれでもか、ってくらいに綺麗で、女の子らしくて、可愛い。女の私でも、見とれるくらい。
私は、二人の世界を作ってるベストカップルはそっちのけで、早々と靴を履いた。
「志乃?」
未琴が呼び止めるように言った。
「二人で帰りなよ。お邪魔しちゃ悪いから、先に帰るね」
私はそのままダッシュで校門を出た。
ジャニーズ系美男子とウェーブロングヘアの超美少女が、この後どうしたのか、私は知らない。
空が、焦げたように真っ赤だった。
「ただいまぁ」
「おかえり、志乃」
家では、専業主婦のお母さんが、夕飯の支度をしている最中だった。
「おなか空いた」
リビングに駆け込みながら、私がそう言うと、お母さんが、
「青森のおじいちゃんから、りんごが送られてきたわよ」
と、綺麗に皮をむいて四等分に切ったりんごを、ガラスの器に盛って、リビングのテーブルに置いた。
「ふーん」
りんごを一個、口にくわえて、私はテレビの電源を入れた。毎週見てるアニメが、ちょうど始まるところだった。ソファーに腰を下ろして、アニメを見ながら、シャリシャリと甘いりんごを食べた。
「この時季のりんごは、とっても甘いでしょう」
「うん」
ソファーの後ろのダイニングキッチンから、お母さんがそう言った。
確かに、甘い。
リビングの隅にちらりと視線を向けると、「青森りんご」とか書いてある、白い段ボール箱が映る。
…明日からのおやつは、ずっとりんごだな。
アニメを見ながら、ぼんやりとそんなことを考えた。