もっとも残虐な殺し方についての考察

ショートショート短編小説

この世で一番無残で残忍な、もっとも恐ろしい残虐な殺し方とはなんだろう。
死とは、全てに於ける希望を絶たれるもので、全てに於いて朽ちるのが普通である。
それを踏まえた上で、残虐な殺し方を考えると、どうなるのか。
よく、ホラー映画で手足を切断だの、鋼鉄の紐で縛り上げるだの、眼球に針を刺すだのあるが、それらはただ痛いだけで、残虐に見えるだけである。
恐ろしいとされる犯罪、殺し方は、一見残虐な、最終的に死を与えたものが該当するようだが、それは果たして本当の残虐な殺し方かどうか。
よくよく考えれば、死そのものは残虐な殺し方から遠くなる気がする。
何故なら死は肉体からの開放であり、脱出であるからだ。
殺すという行為は、死を与えることだが、肉体に死を与えては、相手を残虐な痛みから逃す事にはならないだろうか。
凄まじい暴行を与え続けると、人は死という開放を望む。
それは、希望を断つことが目的である殺戮から、離れている事になるだろう。
前述した通り、死とは、全てに於ける希望を絶たれるもので、全てに於いて朽ちるのが普通である。
卒ることは始まることであり、そこに微塵たりとも希望がないことは有り得ない。
ならば、もっとも残虐な殺し方はなんであろう。
私が思うに、生かす事であると考える。
終わりの知れない肉体への苦痛と、心に考える感情すらも砕く責め苦を与え続け、死という逃げ道すらをも断つ、それが一番残虐ではないだろうか。
しかし、ここには一つ穴がある。
壊れるという現象だ。
壊れてしまうと、あらゆる苦痛が快楽になり、それを楽しみ始める。
それはある種の逃げ道であるが、それを断つ手段はない。
「駄目だ。結論が出ない」
結論までしっかり書かなければならないレポートの提出期限は明日だ。
なぜこんなレポートを書き始めたんだ。
始めの方を読んでみる。
先日、母方の祖母がなくなりました。
死因は通り魔に刺され、出血多量。怒りを覚える死因です。
そしてこれを機に「死」とは何か、特に「殺す」という事について考えました。
理由にインパクト感じたからか。
それとも残虐な文章を書きたかったからか。
どちらにせよ、これじゃダメだ。

2007-03-15

黒い羊小屋

二次創作では「くろひつじ」名義で活動しています。

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